「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語」が刊行されたのは2010年。
「bonanza vs. 渡辺明」は2007年、第1回将棋電王戦「ボンクラーズ vs 米長邦雄」は2012年のことである。
コンピューター将棋の夜明けを告げる最中に将棋界のトップにいたのは紛れもなく羽生善治である。
多くの期待の声が上がる中、コンピューターソフトと羽生善治の対局は行われなかった。その経緯の一端が「われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る」(米長邦雄)に書かれているので記憶している人も多いだろう。
コンピューティングの進化は著しい。
十分なコンピューターパワーは、既存のデータを使って、将来の動き、結果、傾向を予測するデータ サイエンスを実現し、単なる計算機の枠組みを越えて人工知能 (AI : Artificial Inteligence)の領域に踏み出している。お隣の囲碁の世界では Alpha Go が世界トップの囲碁棋士をなぎ倒し、シンギュラリティが来たと大きな話題となった。
人工知能 (AI) は人間の行動を模倣することを目的としているが、囲碁や将棋においては既に人間を凌駕している。人間を越えた完璧な存在。凡庸な言葉を使うと「神」ということになる。
進化すれば人間は神の領域に達することができるのだろうか?
その時に思い浮かべるのがあの人だ。
「羽生善治」
羽生の強さは長らく解明されずにいる。
将棋ソフトの大きな進歩により、盤上における最善手は評価値によって表されるようになった。今まで人間の目には盲点となっていた類の着手や先入観は改められた。あらゆる棋士の将棋も研究された。羽生の将棋も丸裸のごとく調べつくされただろう。だが、いくら指し手を分析しても、それを生み出した脳の中身までは分からない。コンピューター調に将棋を指すことができたとしても、それで羽生を越えたとは言えないだろう。究極の指し手を自らの頭で生み出せることができてこそ、羽生越え、神に一歩近づくということである。
羽生はいかにして進化したのだろうか。
才能があることに疑いはない。でも同時に将棋の才能は何なのかが分からない。そして、才能を伸ばす方法が分からない。
プロ棋士は一定の才能を持ち、努力を重ね、時に運を味方につけ、ライバルを蹴落として辿り着くポジションである。プロ入り後もタイトルという頂点を目指して研鑽しなければならない。その過程で何らかの差が発生し勝者と敗者に分けられる。羽生は7割がた勝者の側にいる。その差は何なのか?それが「どうして羽生さんだけ」の疑問を生む。
さて、人工知能(AI) は、コンピューターの処理速度の向上により今までよりも大量のデータを素早く処理することを可能とし、そこから得られる結果をアルゴリズムに反映・改良することを繰り返すことで進化しつづけている。いわゆる機械学習である。
加えて、膨大なデータの中から必要な要素だけを抜き出す技術であるナレッジマイニングも欠かせない。いくら強大なコンピューティング性能があったとしても無駄データを処理させていては効率が上がらない。
「機械学習+ナレッジマイニング」。
これを人間に当てはめると、「頭脳明晰+センスの良さ」ということになる。是即ち「才能」だろう。頭の良さはもちろんのこと、何をどのように学習すれば良いのかが備わっている。
私は IT業界に身を置くこともあり、この数年、コンピューティング自体の速度向上、クラウドコンピューティング利用による安価なリソース確保、洗練されたアルゴリズムの確立の進歩を見続けてきた。着々と進化し成果を出す様子は大いなる可能性を感じさせてくれている。進化のからくりが分かっているからこそ、その進化の道程にも納得している。エキサイティングな進化はこれからも続くであろう。
今までの工業史とこれからの成長革命を思い浮かべていると、AIがもたらしている成果と”似たようなこと”を今までに見たことがあるかのような既視感を感じる。
AIのごとく人知を超えた答えを出すシーン。それは何か。
そう、それは「羽生善治」である。
羽生は、誰しもが平等に得られる情報から、自らのセンサーで必要な要素だけを抜き出し、深く学習し、究極の一手というアウトプットを繰り出している。
羽生だけが神様がくれた辞書を持っている訳ではなく、研究の対象となる棋譜は誰しもが触れることができる。インターネット社会は多くの知識を安価に手に入れ、交換することを容易にしてくれた。だから条件は平等だ。だが情報量は膨大。全てに触れ、全てを暗記し、全てを分析することができない。だからこそ、取捨選択の才能が必要となる。
人工知能(AI) は、この数年でようやく進化の方程式を手に入れた。
羽生は、誰から教わるでもなく、自らの力で進化の方程式を手に入れている。しかも、羽生の学習スタイルは、現在の人工知能(AI) のやり方と近似している。まるで人工知能(AI) が羽生のやり方を真似しているかのようだ。
まず「羽生善治 = AI」という仮定を立てよう。
AI の進化は今後も続き、私たちの生活の中に溶け込む時代が来るであろう。そうなった時、次に考えるのは、人間自体の進化ではないだろうか?
人間は脳の大部分を使い切れていないという研究結果があるらしく、それならば、より効率的に脳を使えるようになれば、人間自体も AI のように脳を強化できるかもしれない。そのロジックが確立できれば、AIをお手本とする時代が来るだろう。人は幼少時代からAIを先生とし成長する。そんな時代に生まれ育った人間が何世代も続けば、生まれて自ずと脳を最大活用できる人が産まれるだろう。それが何年先なのか分からない。遠い未来のことだろう。
そんな時代に、もしかしたら「羽生善治」が再評価されるかもしれない。AI より先んじて、完璧な思考を身に着けることができた人間。
そして更に SF 的に考えると、羽生善治は未来から現世にやってきた人かもしれない。
AI ネイティブの時代に生まれた寵児が将棋の未来を変えるために現時代にやってきた。
神と呼ばれるその正体は未来人。
羽生善治は未来人である。
この仮説を否定することは簡単だ。
だが、世の中、常識の外に真実があることが多い。
盲点や先入観に囚われてはならない。冷静に広く観なければならない。将棋のように。
誰か真実を突き止めて欲しい。
もしかしたら、AI が羽生善治は何者かの答えを出してくれるかもしれない。
「Hey Siri, ハブ ヨシハルは何者だい?」
「ハブ ヨシハルは・・・・今は答えられません。」
そんなことを夢想する。
これは私なりの 「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語」へのアンサーである。
(文 @totheworld)
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